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電波…とどいた? 200101上旬/中旬/下旬

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2001年1月21日の電波状況

雑記


2001年1月22日の電波状況

雑記


2001年1月23日の電波状況

雑記


2001年1月24日の電波状況

雑記

「... Photographer 谷山浩子 ... thanks to 株式会社ニコン」はまってるのねー。


2001年1月27日の電波状況

うにゅ

さっき起きた。休日だし通常もーど。今日はイベントの類も無いしのんびり…できないのねん。 BMag の原稿でも書こう←忙しいけど今お金はいくらでもほしいからひきうけた。引っ越しの準備もしないとね。段ボール箱しいれてこねば。

あう、雪つもってるにょ。寒いにょ。雪がつもる関東なんてきらいだにょ(ぉぃ。 NHKのみんなの歌も「きたかぜこぞうのかんたろう」だし。

こころのすみか

最初に聴いたときはちょっとインパクト弱い曲ばっかりかなーと思いましたが、聴いてるとけっこう味がでてきました。でも往年の名アルバムと比べるとやっぱ曲としては弱いかな。んと、タイトル通り、「こころ」な曲があつまってるます。

うーん語るのに良い言葉がおもいつかないのぅ。絵で描くのがよさそうだけどこれまた難しいね。「雨上がりの天使」なんてよさげだよね〜、とか思ったら、もう むぎさん描いてるし。「仇」のイメージがうまく絵にできたらすごそやね。「おもちゃ」は、なんか浩子さんばーぢょんのほうが、おなじ壊れてるにしても楽しそうだ。くすくす。


2001年1月28日の電波状況

雑記

あう、昨日のぶん日付ずれてた。なんか一日怠惰にすごしてしまった…。寝てテレビ見て食って寝てちゃっとしてしかしてない(汗)

さくらとも呼ばれるひと

@ なんか文脈で xmulti でてるアーティクルがちらほらあって焦る。

@ その原因が論点ではないからでしょう。それが主たる原因であることは百も承知。「全く問題が無いかのように」は邪推が入っていませんか? 非難の中心は「圧力があったこと」では無く「圧力の内容と方法」です。その場合「でも偽もこんなこと言ってたじゃん」というのは論点がおもいきりそれてしまいますから、その点に触れないのは議論展開の手段としてはむしろ当然のことではないでしょうか?

実際2chでも、その点(原因の一部であろう黒衣氏のスタンスと発言) については別にスレッドあがってましたよね。まあ、あんま機能してなかったようですが(苦笑)。結局のところ「そんなことには興味は無い」人が多数なのだろうと思います。それに対して「企業の個人に対する行動」には関心がある人は圧倒的に多い。

@ で、GORRY さんじゃないけど回答してみます。

1. 毒について。自分なら思っても(周囲を気にして明解には)口にしないであろう類の発言を堂々と明解に言ってるののは、むしろ尊敬の対象です。実際けっこう同じこと思ってたりもするし。これは優等生が不良にあこがれる心理かもしれません。もちろん、これには黒衣氏が「赤の他人」だからというのは多分にあると思います。なまじ近いと自分も含めた周囲への影響がでてくるのが見えるのでなんらかの (抑制させる方向への)干渉の意思が働いてくることもあるでしょう(遠い目←つっこみ禁止)

2〜6。文章が違うだけで本質的には全部おなじ質問なのでまとめて。

まず、私自身があの程度の(言葉の)毒は受ける分には、どうということは無いです。単に鈍感なだけかもしれませんが、私にとってはシステムそのもののほうが毒です (ううう…耳が痛い)。多くの技術者、特に「ハッカー」とよばれる属性を持つ人間にとってはそうだろうと想像します。

「受け手として」という一般的な判断は不可能です。なぜなら「受け手」はみんな感覚が違いますから。「レベルがどうこう」というのはナンセンス。全国民で多数決をとって、それをもって「不許可」になったらその人は発言できないのでしょうか? ←極論

自分の発言したことが周囲に与える影響とそれによる反応にたいして自分が対処する(受け入れる/はねのける/調整する etc) 意思が明解にあるかぎり何を言おうとそれはその人の自由、というのが、言論の自由の根底ではないでしょうか? それが「責任をもった発言」ということです。さて、黒衣氏は責任を十分にはたしているとはいえないでしょうか?

発言に文句を言うのももちろん自由であり、それによって自分の望む方向に相手の行動を変更できる可能性はあります。誰かの発言が自分の主張にとって都合が悪く、またその人の発言の影響力が大きいのならば、それに対する反論を発することは当然ともいえましょう。ただし、下手に文句を言うことは自己矛盾におちいりがちなので要注意です。言葉じりをとらえて、人を不快にさせることを理由にその発言を封じることは別の人を不快にさせます。

そうですねぇ、例えば、私は、大串さんの「いくらなんでもやりすぎだ」という発言には「あれならそう思う人もいるだろなぁ」という感想ですが「ここまで有名になったからには自ら撤回すべきだ」という発言には「そりゃおおきなお世話やろ(-_-)」と思いました。

この件においては、当事者以外には「見ない」という選択肢が明解に存在するわけで、発言に対する文句を言うことは「余計なお世話」になる可能性が高いです。だから多くの人はその点について発言せず沈黙をもってそれに変えるのでしょう。今回の場合も絶無ってことは無いですね。具体的な実例や数値をだせなくてもうしわけないですが、IRC などで話していると、それなりの数「あの発言はキライ」という方をみかけました。自分の体面もありますから表だっては言わないだけ。「でてこない」発言は「無い」とみなされてもしょうがないというのはあるわけですが、この場合、発言しないからといって自分に不利益が及ぶわけでもないし(むしろ発言したほうが不利益かも)、そもそも興味も薄いのでしょうから、沈黙を是とする判断は賢明ともいえます。

さてさて、この論法はもちろん発言の対象の当事者たる「翼システム」側には通用しません。そして実際行動に出たわけですが、そのこと自体を否定している論調ははたして主流でしょうか? そんなことはないですよね。

@ 少し話題変更。黒衣氏の表現に見られる意思表示について。 「オリジナルをおとしめる必要はないだろう」という種の意見 は正論ですね。でも、あえて(たぶんリスクを承知した上で「あえて」)そうしたのは、明解な意思表示手段として理解できませんか? 賛同する必要はないです。これは、おそらく、私が XMaid でなく XMulti として物を出した心理や、オリジナルでなくパロディを作る同人作家と同種の心理です。ベクトルの向きは、逆ですけどね。偽春菜を気に入って使っている人の一定以上の割合の人が、その意思の匂いをかぎとった上で、それに賛同して使っていると思ってます。そしてそれが思い入れにもつながっている。「毒」の醍醐味とでもいったところでしょうか。その味を知ってしまっている人にとっては、「毒だから」という理由で排除を求める意見はうざったく聞こえてしまうのかもしれません。それが大串さんへの反論の基本にあるものと想像します。

もちろん「毒」だったらなんでも良いというわけではないです。それが単なる誹謗や中傷なら「あんなバカ無視無視」でおしまい。偽はその技術的な確かさによって、かなり極上の美味しさを持つ部類にはいると私は思ってます。だからこそこれだけ広まったのでしょう。

@ 個人的には、今回の件における黒衣氏の誤算は「喧嘩を売った相手を(技術屋的にも政治屋的にも)信頼しすぎた」ことだと思ってます。相手は予想よりも頭が悪かった。仮に相手が技術屋的にまともなら怒ってはいても物で対抗してきたでしょうし、政治屋的にまともなら、より平穏な手段で順次対応してきたことでしょう。 (現在は「たたきつぶし」という手段はリスクがかなり大きいと思う)。弁護士いるとかいってるけど、そうだとしても、この数年のネット上でいろいろくりひろげられている(現在進行形)「対決」の現状を全然勉強してないんじゃないかなぁ。現在は個人とはいえかなり強力な広報手段を持ってるから一方的に行動することはリスクが高いです。だいたい「電子メール」であの内容を書いてくる時点でちょっとアレ。相手へのファーストコンタクトへの PING に使うならともかく。ほんまに弁護士いるのか?(苦笑)。

結果としては「名前」は消させることに成功したかもしれないけど、翼サイドの信頼は地におち、事件の全てはネットに記憶され、そして「任意」はより強固になって続いていくのでした。ちゃんちゃん。

……なげーよ→おれ

ちゅーちゅー

はやってるらしい。私もおもわず布教(ぉぃ。普通に聴いてノイズのりまくるのはデータが一種の圧縮かかってるから。ヘッダはうそっこ。沖さんが秘密の方法(謎)で抜き出したデータと元データの対応を graph | plot -Ttek してみたらぐちゃぐちゃに広がったので悩んでたんだけど、別チャネルにてKTさん がデータを眺めて一瞬で d = d - 0x80, out = 2 * d * abs(d) であることを見抜いてたり(汗)。なるほど。計算値も謎データと一致で大正解。ちなみに プロットのデータが広がってしまっていたのは単にデータが一つずれてたからでしたとさ。正解は一つの曲線。ちっ。これが最初からちゃんと出てれば私も気づいたかもなのに(グラフを見るとあきらかに2次曲線の形)。切り出した raw データをさっくり処理して、sox で適切にヘッダつけて完成♪ばっちりだ。


2001年1月29日の電波状況

さくらとも呼ばれる人続き

なるほど、質問のご主旨理解しました。

まずは一点補足。私が称賛しているのは「毒の入った言葉を発すること自体」ではないです。質問で「“偽”春菜が吐いている毒について」と問われたので、それは称賛すると答えたのであり、一般論での質問でしたら「場合による」としか答えられません。

この場合の肯定のプロセスは

です。ここでの「毒」は単に言葉だけのものとは私は認識していません。総合的なものとしてみてます。

話をもどして、ご質問への私の答えですが(言葉の)毒そのものについては「ありえない」、でも「総合評価」としては「ありうる」になります。物事の評価は個々の要素それぞれで絶対的に決まるわけではないですよね。人によって見る所、評価基準は様々にあってそれの組合わせで決まるわけで、より強い評価基準によってより弱い評価基準が圧倒されること自体は特に不思議がることでは無いと思います。少なくとも私にとっては「(言葉の)毒」に関する評価基準よりも「技術」に関する評価基準のほうがはるかに高いのは事実です。その場合(同じ本質をもった2つのプロダクト〜)だと「この人、口だけじゃん」と「すげー、この人、言うだけでなくつくっちゃってるよ」という差がでる可能性があります。繰り返しですが「他の評価が左右される」ことは無いのですが、「他の評価が総合的には無視される」ことは有るのです。さらにもどして繰り返し。「技術的に優れているから毒も肯定する」は無いですが、「技術的に優れているから毒を無視する」ことはありうる。

まあ、私(それからたぶんGORRYさんとかも)は、偽春菜の場合には、一歩ふみこんで、「技術的な観点から発生し、技術的にも裏打ちされている、『毒』そのものを肯定。開発姿勢自体もある意味『毒』である」という状態ですけどね(苦笑)。 GORRYさんがいろいろ示して肯定しようとしているのは「総合的な意味での毒」なんでしょう。たぶん。

まあ、やっぱ、技術絶対じゃないですよ。何か私にとってすごくイヤなことがあって、でも、ある人にとってはそれはすごくステキなことで、すごい技術を注いでそれを見事に実現したとしたら、その行為そのものには感服して一定の評価を与えるでしょうけど、全体としては「んなことやめれー」って叫ぶと思います(苦笑) 具体的な事例はいまおもいつかないです。そもそもおもいついて、言って、誰かに実行されたら困る(ぉ。

答えになってないかもしれませんが「私は単に物事を一面のみでは判断しない。ただし評価基準には強弱がある」というわけですな。「技術的観点での評価基準が高い人が今回の偽春菜関連の話で発言している人の中には多い」という観測結果が得られてるだけのことだと思います。

む、ちょっと追記訂正↑ 完全否定ではないので消去はせず。技術的観点はそもそも気にしてなくて(わからない、も含む)、単に「おもしろいから」「楽しそうだから」という人も多いことでしょうね。その人たちにとっても毒は許容範囲、もしくは肯定したからこそ使ってるわけ。結局のところ、一連の議論のコアは「『翼システムの行動』に対する反発」なので、作品の持つ毒そのものについての意見がそんなにでてくるはずもない、ってのが実情でしょう。やっぱ(^^;;;

余談。コメント部分にある先の方、回答をみるかぎり、作品に対する感覚や「責任」に関する考え方とかが私と似た思考パターンみたいですね。なお、私は、自分が、現在のネットワーク社会においては、比較的バランスのとれた思考パターンを持っていると思ってます:D。一般社会的にはちょっと難しいこともあるから、もすこし保守的な方向にすりあわせてますけど(苦笑)

雑記

週末長すぎ(汗)。戻そう。


2001年1月30日の電波状況

雑記

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