Last-Modified 2010/10/25 11:35:20

その日あった事ダス第394週


3月27日(日曜日)[前年][翌年]

オジイチャン、逝っちゃった。

去年末に腰が痛くて立てなくなって入院してから3ヶ月。先月に肺炎にかかって一度心臓が止まったりも。それからは持ち直したんだけど、今日も午前中まではどうもなかったらしいのだけど。

人がいっぱい来ててんやわんや。普通に家の仕事もしてたので、掘って持ち帰った状態のままのレンコンもあってそっちの始末もあってバタバタ。

ここ最近のプライベートの心配事の一つが片付いたわけけど…涙が止まらねぇよ、チクショウ。

多分数日はこの手の話題しか書かないと思うので適当にスルーよろしく。

(08:00) いつものように肥料やりの為に起床。で、いつもは父と兄との3人で仕事してるのだが、今日は母がレンコンを掘りにきてた。どうも注文が入ってたらしい。後から考えれば、レンコンを掘ってたからこそ(家で掘ったレンコンの選別とかをするために)父親が昼過ぎに家に帰ってきたわけで、そうでなければすぐに病院に行く事なんて無理だったわけで、ものすごい偶然だったといえよう。

(13:00) 私と兄が帰宅。私はデュナミス−ウィンダスの予定があったので即PS2立ち上げ>飯食ってくると報告。遅れて母、父と帰宅。

(13:30) 病院から第一報。危険な状態なので来て下さいとのこと。いつもは朝に手伝いをした日は昼以降は手伝いをしない事になっていたのだが、父が病院に行くということでヘルプ要請。裏ウィンに突入した後の事だったが、3時までに離脱して手伝う事に。

(14:00) 病院から第二報。「死にそうなに一人だけしか来ないってどういうことですかっ!」天気の良い日曜日の午後。昨日まで別段おかしくはなかった(後で話をしたところ、いつもよりちょっと呼吸にしにくそうだったとの事だが、そこまで深刻に捕らえてはなかった)だけに、ほとんど誰も待機しておらず。明日に転院の話をする予定だったし。叔父なんか出雲大社までお参りに行ってたらしい。「おやっさん(叔父は自分の父の事をいつもそう呼ぶ)が苦しまないようにお祈りしてた」…効果てき面過ぎです。
兄と母が病院へ。私は「家で電話番頼む」とお留守番役。もちろんゲームなんかしてる場合じゃない。

(14:20) する事がないので仕事場に移動してレンコンと戯れる。

(14:40) 母から電話。家から病院はさほど遠くないので、連絡が来ないのは良い知らせかなとか思っていたのだけど、単に道が混んでいただけだった。休みの日は混むからな。
「おじいちゃん、もうダメだって。今は呼吸してるけど…」
それだけ言って電話は切られた。この後、生命維持装置の類が外された様子。

(14:48) 祖父逝去。享年8889歳。時間は死亡診断書より。

(15:00) レンコンの作業のお手伝いのお姉さんが到着。二人で作業。この時点で亡くなったことは知らないので「一人でやってるから病院行ってきたらええよ」「戸締りせなあかんし、まあ先に終わらせよ」
とりあえず最近子供にゲームキューブ買ったとか昔の制服はどうだったとか、いろいろ話をして気を紛らわせることに。というか今ごろGCっすか。うちの埃かぶってるのあげても良かったな。

(15:30) 兄と母帰宅。お手伝いのお姉さんが「どないやったん」兄「亡くなりました」
母は近くの親戚のおばさんに来てもらって祖父の帰宅の準備を。兄にそちら方面の手伝いを任せて、私はレンコンの方を。洗うはええんやけど、その後の作業をする元気が両親に残ってるかなとか思いつつ。

(16:30) 父と祖父帰宅。親父、予想通り赤い目をしていた。いつもは陽気な父も、祖父の事になると人が変わってたもんな。うちはレンコン農家なので年末はとても忙しく、最初の入院時も別の病院に転院して置いてもらうか家に連れて帰るかすごい悩んでた。本人はまだ働きたい様子だが祖父の面倒も見てやりたい様子。結局転院して家の近くの病院に置いてもらったのだが、それを祖父にお願いする時も泣きながら言ってた。その後肺炎で再び救急病院に運ばれた時は、3日ほど病院に寝泊りしたりとかしていた。
死んだ直後「親父(祖父の事)、これで家に帰れるな」と泣いたらしい。

(17:00) レンコンの作業のうち、自分が手伝える分は終了。元は市場にでも出荷するつもりだったのだろうけど、注文分を別にして、家の近くに住んでいる知り合いに買いとってもらう事に。まあ、もったいないしな。
母から「(兄の名前)にも聞いたけど、お母さん、がんばったよね」と聞かれた。うん、頑張った。ホントよくやった。家に連れて帰れなかった事を非難するようなヤツがいたら蹴っ飛ばしてやる。
その後兄に「おじいちゃんの顔見たって」と言われたが、自分の格好が仕事用なのを理由に逃げる。

(18:00) 親戚・近所の人が続々とやってくる。ようやくこの時点で祖父の顔を見る。言われ古されている言葉だが、本当に寝ているようだった。目をつぶれば聞こえる誰かの呼吸の音が、まるで祖父の呼吸の音のように。抱きつきたいという気持ちを抑えるのでいっぱい。しかし本当に痩せ細ちゃってるな…。
明日が通夜になるなら会社に連絡しないとな、とか兄と話をしていたのだけど、どうも火葬場の予約がいっぱいで明後日に葬式は無理な状態なんだそうだ。ということで明後日お通夜の明々後日に葬式。これなら明日会社行けばなんとか休みは取れそう。
「やっと家に帰って来れたんだし、一日家に置いたげたらきっと喜ぶよ」うん、そう思う。

(18:30) 写真を選んでくれと言われ、数人で祖父の部屋で選ぶ。ほとんどの写真は祖母と一緒に写ってる。祖母はまだ存命だが、5年前に倒れてからずっと病院暮らしで私たちの事が分かっているのかどうかすら分からない状態。ずっと赤い目をしてる私とは違い兄は泣いている様子はなかったが「おばあちゃんも写ってる写真見ると涙出てくるな」…この頃の祖父はまだ腕が太いなぁ。
その後、祖父が祖母と一緒に昔に法名を貰いに行ったらしいが、どこにあるか分からず大捜索大会。しばらくして発見。とても難しい字でなんて読むのかさっぱり。

(19:00) 腹が減ったので晩御飯を。兄と二人で食べてたら、叔父がビール瓶持ってきて「飲め」 祖父はお酒が好きな人だった。兄も同じ事を考えていたらしく、普段はビールなんて飲まない二人だけど二人して飲んだ。

(20:00) 韓流なんてもう過ぎ去ったものだと思っていたが、まだまだ健在な様子。おばちゃん連中(母も含む)がそれで盛り上がっていた。こんな時に不謹慎な…と思うはずもなく。こんな話題で気が紛れるならそれでいいよね。

(21:00) 疲れたので風呂。アルコールが入ってたからか、風呂から上がると少し気持ち悪くてふらっときたのでそのまま寝る事に。ちょっと寝不足気味だったし。オヤスミナサイ。

私も兄も家にいるときに、また、兄の結納が済んだ後まで頑張ってくれて、ホント、おじいちゃん、ありがとう。


3月28日(月曜日)[前年][翌年]

今日もこの話が続きます。

起きたらもう既に人が集まっていた。何人か泊まっていったんだっけ。フラフラのまますぐに寝たので良く分からず。寝起きのまま居間に行ったら「そんな格好のまま出てくるな」って言われた。起きる時間が遅いとはいえ、自分の家で寝起きでソレ言われるとちょっと切ない…。

飯食って着替えして出社しようとしたら、東京で働いているはずの従妹が。どうも始発で帰ってきたらしい。ついでにイギリスに行ってるはずの従妹も、チケットが取れるかどうか分からないけどと空港に向かったそうな。いい孫を持って良かったね。

出社前に祖父に挨拶。
…昨日はね、兄にね、「死んだらすぐに顔が白くなったら、死んだ事が実感できていいのにね」とか言ってたんですよ。それぐらい、寝てるかのような顔色だったんですよ。それがですね、目尻の辺りに赤い点があって、顔全体が土色になってるんですね。この赤い点はもしかしてアレですか、死斑とかいうヤツですか?
ただでさえ雨で視界が悪くなっているのに、ホント、勘弁してください。

仕事に集中してれば全く何も考えないから平気なんだけどな。スイッチ入るとヤバそうだ。

今日も何人か泊まっていったみたい。


3月29日(火曜日)[前年][翌年]

朝から病院へ。年末に自転車で豪快にこけた時に痛めた左手人差し指が心配で、いつか行こう行こう思ってたんだが、歯医者とかとの兼ね合いもあったりしてようやく行けた。さすが整形外科だけあって年寄りが多いな。診察が終わってリハビリ室に移動したらめちゃめちゃびっくりした。

診察の結果は、骨には異常がなくて、それでも痛いって事は靭帯を痛めているんだろうとのこと。素人考えで引っ張ったりとかはあんましよくなかったみたいだのう。即病院に行っておけばよかったのだろうが、仕方がない。

その後のリハビリで、蝋のような液の中に何度か手を入れて患部を温めるようなことをしたんだけど、その液が熱いのなんの。多少は我慢したんだが、熱いのが看護婦さんにも分かったようで3回手を入れるはずなのだが2回で終了。蝋の薄い膜に覆われている状態になるわけだが、3回が2回になった影響で膜が薄いためか、その膜が全然剥がせない。「普段は手袋みたいにはがせるんですけどねー」とか言いつつ、すぐに千切れてしまう薄い膜を頑張って取る看護婦さん。他人の手なもんですごい慎重にやってるわけだが、これが微妙に気持ちよかった。2度目はいらんけどな(ぉ

しかし看護婦さんの手、めちゃめちゃ荒れてたなぁ。大変なんだろうなぁ。

その後、通夜と葬式にはいていく靴がなかったので買って帰る。

帰ったらちょうどお昼だったので、笑っていいともを見ながら昼飯。もう大量に人が集まっている状態だったのでゆっくり食える状態ではなかった。ホント大きなイベントだのう。自分は時間まで自分の部屋に逃げてノンビリ休んでたり。

葬儀屋さんが来て、祖父を棺おけに。血が濃いということで自分もいろいろやった。棺の中に、草履、運動靴(そういや出かける時はいっつもこれだったなぁ)、背広、お酒…そして帽子。
そうだよ、おじいちゃんはずっと帽子かぶってたよな。頭が薄いのを気にして帽子だったのだろうな。一昨日に選んだ時に見た写真も、半分以上帽子かぶってたしな。

なぜか成り行きで親戚の中で一人おじいちゃんと一緒に葬儀屋に行くことになったり。

途中一旦兄と一緒に家に帰り、ちょうど高校野球の試合中だったので見る。神戸国際勝ったかー!

通夜自体は儀式色が強すぎでよく分からず。ただただ時間が過ぎ去っている感じ。あとで来てくださった人を見たが、自分の気がつかないところで自分の同級生の父親とか歯医者の先生(まあ、これは父親の同級生なんだけど)とか来てたのね(汗
あと、この場で兄貴の結婚の話とか、自分の話とかが急速に親戚中に広まっていってアレでソレ。自分のはまだ100%確定したわけじゃないんだけど(大汗

通夜後、静かになった葬儀場でしんみりしてると兄貴がやってくる。「最期の時に会えなかったもんな。(兄貴自身が行った時は)まあ管通されてる状態だったけど…」そんなことは自分の中ではもう納得してる。というか、それは兄貴の仕事だっつーの。余計な気を使ってるんじゃねぇ。

その後は食事。いやー、ホント、韓流ってまだまだ衰え知らずですね(ぉ

さらに成り行きで私も父と叔父と一緒に祖父のそばで寝ることになったりして。やっぱ家でノンビリする暇はないよなー。着替えなんぞ準備してないので着替えを取りに家に戻ったり。

父と叔父は飲んでるだろうから、GBA でも持っていくかのう。

家に帰る前は3人だったのに、葬儀場に戻ってきたら5人に増えてるし! 運転手してくれた兄も一緒になって7人でダラダラ。その後寝泊りする3人だけ残って、祖父のそばにある蝋燭や線香を交換して、写真を取ってみたり。父が飲みすぎ喋りすぎでいい加減声がおかしくなってたので布団引いて寝かす。…5秒もしないうちに寝息たててるがな。

風呂に入った叔父が出てくる前に私も寝る。


3月30日(水曜日)[前年][翌年]

3時半過ぎに目が覚める。蝋燭に火をともしたのが0時前だから、余裕で火が消えてるだろうなと祖父のそばに。案の定消えていたので交換。線香は平気だな。
その後に布団に入ったが、蝋燭がこけて火事にでもなったらシャレにならんと気になって眠れなくなる罠。ちょっとした音にも敏感になるし。おかげで寝不足確定。

母親と入れ替わりに私と父が帰宅。あんまり時間はないが、朝飯を食って少しの休憩。ついでにヴァナにログインしてちょっとだけ合成。

昨日の高校野球で神戸国際が勝ったのだけど、その中の選手で1回戦で怪我した選手がいたんだねーと話をしてると「アレ、田んぼの行きしの農協の垂れ幕のヤツやで」ああ、あの垂れ幕の選手か! 全然知らない人だけどちょっとだけ親近感(ぉ

告別式。…焼香順とかあるのね。自分は同居の孫なので、喪主(父)、祖母(入院中)、母、兄の次。この為に名前の読みが間違ってないかとか確認あったのか…。弔電の順とかもあったし、いろいろややこしいんですのう…。

儀式色が強く感じるのはお経のせいかなと思いつつ。最後に父の挨拶。ここで祖母の話が出た。…今までまともに涙を見せてなかった兄が姿を消した。自分はおじいちゃん子だったけど、兄はおばあちゃん子だったもんな。

棺桶の中に大量の花を入れる。その後、階下に運ばれ、霊柩車へ。霊柩車へ運ぶのは譲りたくなかったのでかなり強引にスペースを取った。最初は6人ぐらいで運んでたのに10人ぐらいになってたっけ。

バスに乗って火葬場へ。今日3度目の焼香。最後に顔を見てお別れ。バイバイ。

その後、家に迎える準備をしに帰宅し、昼飯。でもゆっくり昼飯食ってる暇なんてないな。

再び火葬場へ。骨になった祖父が運ばれてきた。正直ここでも泣くかなと思ってたのだけど、あまりに立派な骨が運ばれてきたので驚きだった。特に立派なのが大腿骨。なんだかすごく誇らしい気分になった。
しかし火葬場の人ってすごいね。骨の状態を見てどこが悪かったのかとかちゃんと分かるらしい。

これ以降もお寺でお経さんを上げたり、仏間でお経さんを上げたりしたがもうヘトヘト。一人お先に自室に戻らせてもらって寝る。もうダメ。

供養とかはこれから始まるんだけど、とりあえずバタバタしたのは終わったかな。


3月31日(木曜日)[前年][翌年]

バタバタしたのが終わったのは私だけらしい。起きたら両親と兄が忙しく動いていた。それを横目に出社。

仕事の方はさすがに平日二日休むといろいろ積まれてて忙しい。ヴァナはLSのイベント日だったりするんだけど、ちょっと今日は不参加だな。

急に書くことがない一日になるとアレでソレ(ぉ


4月1日(金曜日)[前年][翌年]

えーっと。

東京転勤する事になりました。

ちなみに本当の話です…と続けたいのですけど、現時点では行く可能性が極めて高いという表現の方が正しい状態で。最初の話ではGW明けからという事だったのだけど、これは延期確定。

最初に話があったのが2月中旬。この話をどうやって伝えようか考えてたら車と激突したわけですが(ぉ
んでもって家に帰ったら母親が私からうつったインフルエンザでダウンしてるし。これは話できんなーと思ってしばらく待って、兄の結婚相手が家に来るとかイベントがありーの、さて夜に話しようかと思ったその日の昼間に祖父の緊急入院。結局親に話ができたのはほぼ1ヵ月後。兄には既に話してて「いつになったら言えるんやろうなぁ」とか愚痴っぽい事を言ってたりして。

それが、ようやく言えた二日後にうちの会社の方向転換の話が浮上。その後に社長からの説明もあったのだけど、つまり自分に関わる点で言えば「東京転勤は延期」もうブチ切れですよ。大阪に転勤するのとちゃいますよ? 何年東京とか言う話じゃないわけで、どこに腰を落ち着けるか重要な事柄で。自分としては大事な年と考えているのにそりゃないよって感じで不満をぶつけたりの、もっと詳細な話を聞くためにいろいろ動いてみたりーの。で、ようやく理解できて落ち着けた。納得はしてないけどね。6月末説、5月末説が有力だけど、まだ延びる可能性もあったりして、まあ延びるようだと東京行きは白紙になるわけですが。

まあこんな感じ。まったくもって仕事をしてない某会の会計職をどうするかとか考える事はたくさん。あ、転勤した場合は metainfo.hauN.org は止めます。引越し先で落ち着けば再開する可能性はあるけど限りなく低いと思ってくださいな。

ホントは今日のタイミングでいくつかの身内系 ML とかにも流して報告したかったんだけどな。現時点でまだ未定とか言うのはほんとにもう…(苦笑

祖父の件、今ごろ総務に伝えたらなんで早くに言ってくれなかったのとか言われた。別居の祖父母と同居の祖父母で扱いが違うって知らなかったんだよー。特別休暇3日とかもあったらしい。有休にしてた二日間は特休に替えてもらった。どうせ期末だし有休でも影響はなかったのだけど。


4月2日(土曜日)[前年][翌年]

今日は初七日。自分の知ってる人にお経をあげるのはやっぱり今までと気合の入り方が違うな。

ところで、兄貴と二人で並んでる時に、かなりの高確率で自分が兄の方だと間違われるのはどういうことですか。3歳違いですよっ! やっぱアレっすか、自分の方がやや太ってて眼鏡かけてて髪の毛もちょい長めだからっすか。微妙に堪えます…。

ヴァナ・ディール。またーりクエをこなそうと思ってたら ENM のシャウトがあったので参加。結構ごたごたして時間かかってしまった。いろいろあって面白かったのだけど、やっぱメリポに振り分ける設定にしてないともったいないね。道中で入る経験値も、メリポモードだと違ってくるしさ。

しかし革細工スキルがあがらねぇぇぇぇ。カーディナルベスト20着以上作ってスキル 0.2 up とかもう泣くしか…。

HQ属性杖コンプ。しかも全部銘入り。ありがとうお姫様。


このページは基本的にリンクフリーです。

written by Shin'ya Adzumi 'あづみ しんや'
adzumi@denpa.org